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谷中で読書会(旧・神保町で読書会)

studykiho.exblog.jp

これからは谷中で!

開催場所・谷中の家(西川邸)/台東区谷中3-17-11

上記の場所で、今後不定期に読書会をやっていく予定です。
参加無料。
次回開催日など、詳細はこのブログでお知らせします。
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# by study-kiho | 2011-11-16 16:33 | 次回予告

新年度(?)会

当ブログ書記の引越しや講師の引越し、東日本大震災などありまして、結局今年に入ってから集まれずにいました。ということで、久しぶりに会う機会を、と新年度会を開きます。特に予約はいりませんが、席確保のために当日お店に電話してから来て下さい。電話してお店に向かっている間になんとかします。会費は特にありません。飲食代別途(チャージ500円ビール600円料理700円〜)。

6月8日(水)19時30分〜
@ギャラリーバーカジマ
0335748720
中央区銀座7―2―20山城ビル2階
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# by study-kiho | 2011-06-01 11:47

次回はフランス革命についての本です+前回メモ

次回日程はまだ未定。十一月下旬か十二月にずれこむ可能性大です。

● まずは雑談から
参加者・Y氏/武蔵大学の小川紳介(ドキュメンタリー映画界の巨匠)特集に行って来た。
神格化されてマッチョな所あるのは…→脱構築してさらにドキュメントしたフェミニズム系アメリカ人アーティストがいるらしい(講師友人)。 お坊ちゃんだけど頑張ってやる、というスタンス。
成田闘争の三里塚の時に京都同志社は中核派なので現場まで行った(ヘルメットかぶったまま新幹線に乗って向かったらしいが、今聞くと絵づらが面白すぎる)。
クリスマス・ファシズム/参考文献・堀井憲一郎著『若者殺しの時代』(講談社現代新書)
やまだ紫の旦那(白取さん・元ガロ編集部)のブログが壮絶ですごい
● 宮沢賢治の話に入り
吉田司著「宮沢賢治殺人事件」—お母さんが賢治作品の初期の復刻にたずさわった 中原中也は三拍子(ワルツ)のリズム/賢治『原体剣舞』は四拍子 賢治に影響受けた人は隠さない(絶対に超えられない)。バンド名(クラムボンとか)に使われている。イーバトーブという名前が理想郷の意味で慣用句として使われている
● 宮沢賢治の童話
勧善懲悪ではない(普通の童話は勧善懲悪なのに) Y氏「読んでて落ち着かない」 きらきらした描写をうまく出す 『やまなし』では視覚だけでなく聴覚・嗅覚も描写 時系列の接続語の使い方が独特/例・賢治の使う「いよいよ」→時間がせってくる単語 賢治の文章リズムは二拍子・四拍子が多い/例・『雪わたり』の「キックキックトントン」(Y氏「リズムが前のめりな感じになる」)
差別されて虐げられている描写がリアル・弱者への共感が強い—支持されている理由
『フランドン農学校の豚』ホロコーストにも通じる怖さ/合理性によって命を取られるということを殺される側から描いた 愛玩動物=ペット、経済動物=食用 と殺場は差別用語ということになり「と場」という呼び方になった 悪が勝つ、でもそれが常理
『よだかの星』イカロスの墜落 虫を食べて行きてはいけるが社会的につらい—最期は星に—報いるものがある 沢木耕太郎著(デビュー作)『人の砂漠』に、元売春婦のための収容施設に収容されている女性が『よだかの星』について話す、という部分がある
● 賢治童話の「キャラ立ち」
話ごとの登場キャラクターの「キャラ」が立っている/一つの話の中に登場キャラクターが少ない(せまいムラ社会・近所の話的)
基本は一つの話の中で「キャラ」は一個・それがちゃんと成立しないとダメ・作品の名前と同等くらいの「キャラ」が立たないとダメ(宮崎駿にはそれができる)・アニメ『よつばと』は「キャラ立ち」しているが『涼宮ハルヒの憂鬱』『らきすた』は「キャラ」がうすい→「キャラ」がないことが特徴→二次元として男側が使用可能→ある種のステレオタイプでないとイケない 「キャラクター」ではなく(記号化できる)「キャラ」(伊藤剛著『テヅカ・イズ・デッド』に詳しく書かれている)
● 賢治の童話世界に織り込まれた「近代」
『風の又三郎』には他の賢治童話にある不気味さがない/風と光の演出・描写/終わり方がすごい—自然描写しながらそれまでの話の世界観が入っている/透明感・キラキラかつ透明な美しさ→神がいなくなった科学時代・工業時代の美しさ(※近代以前には無かった美)→「見えている事は光の反射だ」(光そのものは見えない)→科学によって知り得た近代以降の美学(宝石・鉱物・風・雲・光…)
鳥はかわいいので、賢治童話世界では怪鳥的な大きい鳥なら出てくるが小鳥は出てこない。
ブラックホールの逆のホワイトホール。その向こうに無限の世界が広がっている。果てがない。基本的に最後は明るい
賢治の詩には描写にオーケストラを感じる。
賢治の童話はキャラの方が目立っている。
地の文から出てくる見方と主人公の見ている目線の違い。
小説書けるかどうかは、主人公に成りきれるかどうか。
どうwⅢ亜派見方が主人公側からの目線になっている。
● 雑談と次回テキストをどうするか
「生まれつき」のやつは学校教育での影響なく非近代的な可能性を見出す。努力と訓練によってあらわれてくる。例/日本的な習慣にまみれていない(日本で活動する外国人ラッパーとか)
次回テキスト候補/鶴見俊輔著『限界芸術』か、福住廉『今日の限界芸術』か、岩波新書の『当事者主権』(弱者目線でものを見る←それはダメ、というのが東浩紀の立ち位置)
暫定『フランス革命 歴史における劇薬』岩波ジュニア新書

結局新刊で手に入らないので『図説フランス革命』(河出書房新社・ふくろうの本)に決定しました。
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# by study-kiho | 2010-11-11 13:20 | 前回メモ

8月7日メモ+次回9月11日のテキスト

(※はじめに。普段書記をなさっている方(本読書会主催者兼本ブログ管理人)が当日あいにく参加出来なかった為、当日メモおよび本エントリは代理の者が作成しております。もし読みにくい・わかりにくいなどありましたら、メールやコメントなどで気軽にご指摘お願い致します(あとから補正することを考えている箇所もあります(△マーク部分など)。
なお以下文、話があちこちに飛んでおりますが、実際にそうであり、ダイナミズムを損ないたくありませんでしたので、基本的に当時そのままの順序にしてあります。ご了承下さい。)


今回8/7のテキストは『春と修羅』でした。


8/7メモ

・賢治がアニメ界に与えている影響も絶大なので、その意味でも読んでおくと色々見えて来る。
(追加:例として近作アニメ『文学少女』などが)
・賢治の総合感覚的表現とアニメ表現の話題から、現代のアニメーターの身体表現の問題で興味深い対談があって、それは、押井守×鈴木敏夫の2004年(組んで『イノセンス』作った頃)の対談、
鈴「最近のアニメは身体が無くなってる」 - ノスタルジー側(宮崎駿側)
押「それは当たり前」 - そういうものとして次の方向へ進む側
(http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/ghibli/cnt_interview_2004so.htm)
しかしその対談後…
押井はイノセンスで燃え尽きた→空手で鍛えた→2008年『スカイ・クロラ』作った(駿的になった?)
またその対談の最後で、宮崎・押井ともに、結局人生誰(他者)と生きていくか?という問題にまとめられる、と指摘した鈴木Pもなんか天才的。
日本アニメは宮崎・押井以後、作品の哲学的?問題の深みに欠けるのでは。
・(参加者木氏の指摘から)大雑把な時代区分として>80年代には言語実験的作品が減っている→90年代はほぼ忘れられている→00年代以降は??(例えば松本圭二が大物?。若い詩人たちが活発化はして来ている?詩を書きつつオーガナイズ的なことも出来るマルチタレントが増えた(過去を引っ張ってくるのではないかたちの)抒情詩が復権しつつある?
・賢治の名のつく賞が意外に思いつかない。→賢治は語りつくせない、どこまでも広がる事が可能、賢治賞なんてのは矮小化になるから作れないのか(?)
・賢治論には厖大な数があるが、例えば入沢康夫は重要、ほか『童貞としての宮沢賢治(押野武志)』『宮沢賢治殺人事件(吉田司)』などオススメ。
・賢治の好む言葉「交響」、賢治はオーケストレーションを目指している、とも言えるのではないか。
・春と修羅では、作風は3タイプ<小品(宝石的)><長編(物語的)><中篇(日本語の交響的実験?)>と大雑把に分けられるか。
・賢治はレコードコレクターでもあった(同時代のドビュッシー聞いたり、レコード鑑賞会開いたり「ハイカラ」な人でもあった)
・ところで「交響:オーケストラ」って不思議。シンセなど今の電子楽器でもオーケストラが結局基準に、近代人の基準・近代人の普遍性?(Y氏、例えばギャングスタ・ラップのDr.ドレーもオーケストラを目指している?)
ニコオケ『流星群』も面白い(http://www.nicovideo.jp/watch/sm4274181)
近代音楽は楽器音中心=「音楽は国境を越える」…言葉じゃないから
・ところでクラシックファンはなぜかほとんど「男」。本では宮台等が『「男らしさ」の快楽』でオーディオマニアにも男が多いことについて論じている。
演奏家では女性も多いのに。例えば一見男らしいチェロでもデュ・プレ(女性:故人)が最高峰にいたりするのに。そもそも「マニア=男」か、という大きな問題にぶつかる。しかし最近のBL腐女子も「マニア」では?面白い問題。
・地獄を描いた詩がある(△?)
・賢治の一般的評価として、「文部省推薦的」なものだけが多く知られている傾向があるのは勿体無い。(例:雨ニモマケズ だがメモ帳に載っていたもので、いいのかw?)
・また賢治の作風はそれ自体が実験的であり、例えば『銀河鉄道の夜』なども絶えず改稿して完成稿がない、動き続けている作品という考え方を持っている(『銀鉄』はブルカニロというのが出ているバージョンが重要)、『グスコーブドリ~』は顕著
・賢治の人気は漱石と双璧だが「日本文学史」では傍流扱い、音楽界で東京芸大出てないと音楽史上の評価が低いみたいな?…(公務員で独学で作曲家になった伊福部昭、甲子園の『栄冠は君に輝く』の古関裕而、演歌で有名になった古賀政男など、皆もともと非常に優秀な芸術系だった)
→評論家にまともなのがいない、学閥で決めていた?…現在ではますます共通体験が無い・減っているから、「評論」がない。
→80年代まで、それまでの一直線の「歴史・進歩」というものが共有出来たが、それ以降は、例えば文学では村上春樹がトップのまま、皆は各自が好きな時代や人のことしかデータベース的にしか知らない・「体系」が無いというポストモダン状態……
→でも、今からでも「歴史・体系」が身に付くのかな?どうなのかな?、しかし「世界基準」は依然「歴史」。
(追加:例えば宮台真二は教育の場では代表作を順に教えれば身に付くと言っている)
・そんな新しい事態に対して、「キャラ」で惹き付けるとか…「キャラ」で充分じゃ駄目なのでは?(アニメ界も紙芝居化してて危機感ある(「オタアニ」批判がある)→音楽で、音程が「平均律に合ってればOK」じゃホントは駄目だよ、という問題と似ている問題?)
・「行間を読む」ということが無くなって来てるのか…(行間読む・文脈読む「えも言われぬ」ところを重要視するのが今でも世界標準なのだが)
→とりあえず“良いもの”を体験させてみないと(上記のように宮台はそうすれば必ず豹変するというが…ここのKさんは確信持てず)
・極端に言えば、一定年齢(1980年以前)以上の人は「ヒエラルキー(順序・歴史・体系)」がある(何でもヒエラルキーに取り込んで説明出来る身体になっている)ので、現代の「フラット状態」というものがよくわからない、だから「フラットな人が「わからない」と言うこと」に困る……
・評論家、特に東浩紀世代にいない(特に女性:『思想地図』はジェンダー気にしない・男だけでOK状態だが…)
・惜しかった議論として?東は毛利嘉孝にキレた=ポイント突かれた(『国際シンポジウム「クール・ジャパノロジーの可能性」』にて。http://www.nicovideo.jp/watch/sm9926108、http://www.nicovideo.jp/watch/sm9926521)
・以前に宮台は「90年代以降、自分が実存的に好きなのではなく、“コミュニケーション・ツール”となった」=芸術?が無くなって来たと言っていた(?)
・何にしても「技術(技巧)の修練」というものが無くなって来ていないか?
そうすると「天才・才能」が判断できなくなり、それは一定の確率で生まれるのに、「優等生」主義が広まってそれがベーシックとなると困る。
・ポップ音楽界でシンガー・ソング・ライターばかり増えてしまってる(例えば「いきものがかり」とか音程才能あるけど、それ以上歌う技術を磨かない寂しさ)。シンガー・ソング・ライターはトークもいけるのでマスコミにも乗りやすいが、例えば歌うマシーン的天才?夏川りみは、トークがシンプル過ぎ(ヤンキーっぽい?)(Y氏「ヤンキーの方が職人向きかも」)
セリーヌ・ディオンは歌唱力キープの為に普段手話(Kさん「でもそれって弱いよね、対して「お笑い」の「さんま」とかは普段から飛ばしている)
・技巧の衰退に関しては、選抜システムの問題なのか?今の人気トップグループが出てきた90年代『ASAYAN』決勝で評価1番だった人(藤岡正明)が結局ブレイクしなかった…一般受けする・しないは別問題ではあろうが。。
・才能(天才)というものは確かに在る。賢治は天才としか言いようがないが、詩でも何でも、出来る人は子供の頃からけっこう出来ていることが多い。
・K(?)氏「最近の詩人は正直に自分のナイーブさを出す、生々しい表出が多い(三角みづ紀は異常?・バンド持ち)、でもグッと来る」、対して入沢は嘘をついても虚構の世界を作り上げるが…
・ポップ音楽話題で…口パク禁止してみるとどうなるか(中国で実際)
CD売れず→ダウンロード&夏フェス増加…何でCD買ってたんだろう?生で凄い人は生の方が良い。マスコミの生(ナマ)の軽視と実際のナマの人気(ライブ盛り上がり)
・基本的に「近代」は物理学中心、それ以前は数学。しかし例えば中沢新一は数学を重視(で、近代じゃない?実際オウム支持もしたし恐い・大丈夫か?頭の良い人だが)
・賢治は時代の割に国家主義の文献が残っていない(隠されたか、天性の勘か?K氏「活動したがりだがボンボンだし、現実になり切れないのでは」)
親と縁切りしたがったが法華経で出来ないという葛藤があった
西洋かぶれの影響でリベラルだったのかもしれない?(キリスト教は割と中立的だった)
・モダニズムと交響(オーケストラ)との必然性があまり論じられてない
ハリウッド映画の拡がりの凄みのもとにも多分オーケストラ音楽。何でこんなに凄いのかオーケストラ??

・あともう雑談
※橋本治の「“美しい”がわかるには原体験が必要」みたいな話からそれぞれの体験を語り出す…
K氏、『フランダース』のラストに泣いた、大学時代色々読んだもの
木さん&K氏、清岡卓行の「大連モノ」は美しい…今褒めると批判受けそうだが
木さん、吉岡実は人気あった、木さん&K氏:個人的にも賢治に大影響受ける。
大正から昭和初期の詩は実験性と大衆性が合わさった黄金期と言える
70年代の経験として、マンガでは「24年組」とくに大島弓子を知ってガチガチのハイアート志向から変わった「現代ではこっちの方がアートのクオリティ」
K氏「MP3で満足できる音楽は、共通体験を感ぜられれば良い音楽なのだ(△さわいたいじ?の論より。検索ヒットせず)」、MP3でいいや=コンビニエントで良いや=私は凡人か(笑)
オーディオマニアもLPレコード時代のが凄かった
レコードの音はスピーカーの奥で演奏してるような生々しさがあるが…良い音とは何かを誰が決めるのか?客観的にはデータが重いほど良いとなるが、美はそれだけではないし…
アニメで押井守(シラケ世代まで)は命賭け?て作ってるが、細田守世代は賭けてない感じ、もう黄金時代は去ったのか?
お話の主人公が何らかの意味で天才(=予想不能)なのが西洋流(根拠が“天性”)だが、日本や韓国は“不幸”病気や事故などが根拠(?)
・現在は才能を自覚する機会がないのか?「三度のメシより好き(≒天才)」のチャンスが失われている(メシでも何でも世の中与えてくれるから)
・ただなぜか若い人もマイノリティ問題には「食いつく」、倫理への興味?(倫理は近代の根幹だが:カント以降)しかし、むしろ若い人は自分のアイデンティティに興味?自分の深刻さ?が欲しいのか。「重い」哲学が欲しいのか。
→「現代思想」の軽薄化オタク化=一般との分離感の元凶のひとつは浅田彰?
『構造と力』には言語論的転回における「鶏が先か卵が先か」的?の深刻さが無い。
現在すべてが軽いということでは、昔のテレビドキュメントは死体など生々しかったが、今は耐性無い人多い。
ところでそもそも凄いドキュメントとは何か。
石牟礼道子『苦海浄土』はドキュメントなのか作品なのか…日本近代における哲学的テキストの最高作のひとつ。
詩は韻が大事。「現代詩」ということでは、戦後、詩の側が差を明確にしたがった(「散文詩」というのもあるが名作あるか?失敗ジャンルかも?)
現在ポエトリー・リーディングの人口多いが下手、Y氏「ラッパーがやった方が全然上手い(笑)」
Y氏オススメのCD、『風は海の深い溜息から洩れる(キム・シジョン)』『わが青春のまるめろ(高木恭造、津軽弁)』


【たまたま持ってきていた関連?書籍 以後候補考えるのに】
『限界芸術論(鶴見俊輔)』
『青い花(ノヴァーリス)』
『自由を考える―9・11以降の現代思想(東浩紀&大澤真幸)』
『触発する言葉―言語・権力・行為体(ジュディス・バトラー)』
時事ネタ:ポルノ法改正との関係…最近の児童ポルノの話からポルノ論として



次回(9/11)のテキストは、「賢治の童話から各自一作選ぶ」こととなりました(ちなみに、ちくま文庫の『宮沢賢治全集』5~8が童話集となっており、入手しやすいです)。

対話がしやすいように、有名作品『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』『注文の多い料理店』『どんぐりと山猫』etc…以外でしっかり読んでおきたい短い作品を7つ挙げておきます(青空文庫にもあります)↓
『虔十公園林』
『やまなし』
『雪渡り』
『よだかの星』
『フランドン農学校の豚』
『猫の事務所』
『洞熊学校を卒業した三人』
(賢治の童話は豊かな人生の為にぜひ読んでおくべきでしょう)
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# by study-kiho | 2010-08-18 02:47 | 次回予告

次回は8月7日(土)です+前回メモ

テキストは宮澤賢治「春と修羅」です。
http://why.kenji.ne.jp/haruto/sinla4.html

前回メモ
●まず始めに
参考文献/『芸術崇拝の思想 政教分離とヨーロッパの新しい神』松宮秀治、白水社。木方さんが「初めて同じ立場の人を見つけた」と思った。著者は美学・芸術学ではなくドイツ文学関係の人。
● 美術館についてなど雑談から
アメなめたりガムかんだりとかしてると、美術館に入れない・メモは鉛筆のみインクだと怒られる(作品を他のところから借りてきてるから) 美術館ここ10年で変わった→景気悪くなった 展覧会の企画で有名な人なんか(ピカソとかゴッホとか。あと作品がまとまって見られる機会が少ない歴史的に重要な作家)の展示は人が沢山見に来る。そうでない展示は人が見に来ない。差が激しい 最近大学に映像アート学科が増えてきている 昔、木方さんは来日したヤン・シュヴァンクマイエルに会った事がある(チェコが社会主義時代の頃) 非実在〜 PSE→車検と同じものを家電でやろうとしたが古い電子楽器も入るので音楽家から猛反発 現代はセキュリティ社会→訴訟がビジネスになる 
● 日本の美学とヨーロッパの美学
スペキュラ 佐々木健一/東大美学のトップ・世界の美学観に疑問・日本哲学 ドイツから出ている近代思想(美学芸術学)—ドイツ観念論 (問い)【作品はどこに存在するか】→(アメリカ美学の答え)【作家が作ったらそれは作品だ(作品を独立した存在・権威とする)】(ドイツ美学の答え)【見る者と作品が出逢ったら作品(主観と客観の瞬時の立会い)】→ドイツ美学のほうが世界的にベーシック
19C〜20C終わり—純粋化していく作品を理論付ける—モダニズム(フォルマリズム/形式主義)→その後出て来たヴォイスやウォーホールは未だにとらえきれない 
●「美しい」という判断/哲学
「アート」とは…という考えはカントに還っていく 『感動する物に対しては「アート」と言う』事自体重要 芸術というものは中世の頃においての「神」に代わる思想上の位置 『「美しい」と〈判断する〉』とか『真・善・美』とか、カントの哲学は今の人間の倫理・道徳の基本 NHKサンデル博士の番組/イギリス経験論の功利的な正しさよりも「正しいから正しい」という主体性に重きを置く デカルト「唯物論」/すべては物体→それを支配しているのは神 
主観と客観だと二次元/カントは三次元(二次元+メタの視点/土俵の仕組み自体考える) カントは有神論も無神論もどっちも関係ない。【神の問題を「別」にした】→政教分離の元 近代国家は宗教国家(政教分離できていない)/立憲君主制は宗教と関係ない(人間の理性だけで政治をやると内ゲバ化・内戦するので建前として王を置いた) 1760年「純粋性理性批判」 啓蒙主義は17世紀にできた 
● 近代化がもたらしたもの
物理学の存在はすごく大きい—真実性100%だから→だから未だに近代をひきずっている(ポストモダンとか言ってても浅い) 近代西洋の発見—数学・物理学・科学・医学→役に立つので国の政治レベルではなくても近代化を受け入れる・浸透して行く(日本の場合、外人からやられるよりも自分から西洋化した) ちょんまげは男性がはげていてもできるので福祉的な髪型だった マグロが世界からいなくなる 商業として漁業はもう成立しない/成立していると思っていたのは幻想ではないか/いわしも獲れなくなって来た 近代が成り立っているといっても、たかがうん十年。じつは成り立っていなかった(資源を食い尽くしていただけ)のではないか? 太陽電池も有効ではない/太陽電池で影になっている部分の微生物死ぬ 地熱を売り出せばいいのに/でももうからない 吉田兼好・『「美しさ」のわからないオヤジたち』は、結局『「ろくなオヤジ」になれなかった』というポストモダン批判ではないか フランス革命の揺り戻し「アンシャン・レジーヌ」→現代につながっている 近代/ヒューマニズム/人間を普遍的なものとする(基本的人権・市民平等)/「孤独」の発見/イギリス経験論がベースのアメリカ美学芸術界もうまく行っていない
● 「美しい」という『感動』を得るには
「生き方」と「芸術」ということが直に結びつく—ドイツ的 イーストプレスから出ている名作のマンガ化のシリーズがすごくいい/絵の力/表情も含めて思想が分かる 美学についてもマンガにするとわかりやすいはず 最近の若い人は詩を読まない・読めない(文体も含めて)→基礎知識がないと読めないと思わせるものがある ケータイ小説の「コイゾラ」がひどい 最近の文学のクオリティはどうなの? BL評論の本読んで分かった『「少女マンガ」の元は「ヘルマン・ヘッセ」だった/昔、ヘッセとジイドは流行っていた 「24年組」近辺の倉多江美は絵に魅力あった/最近読める機会がない(復刊されていない) 名作をがんばって読んである時期を乗り越えてでないと「感動」は起きない/「美しい」がわからない人が増えている→みんなオヤジ化しているのではないか? 【「美しい」への実感は「敗北」の実感と絡み合っている】→小泉改革の頃に出版されたにしては画期的な内容/「美しい」と判定するということにはコミュニティの存在が不可欠である
● 国によっての美的感覚
規制緩和/鎖国を外してフリー(自由)にした(80年代GATとか) 「グローバルにひらこう」→今も続く 民族(言語)国家というのができないと、植民地として大国に隷属することに 昔は同一民族の戦いはなかった(何言ってんだか分からないから争う、という構造→解決案としてザメンホフ「世界共通語(エスペラント)」があった) 全体主義—ノリが違うとはじかれる スポーツもエスペラントと同じ発想 オリンピックはクーベルタント(フランスの人)が始めた 一向宗の人々を皆殺しにした信長・秀吉は、今では正義側とされているが、天下を統一するという事が、本当はいいことなのだろうか…?(安定ということで平和とする) みんな平和はむずかしい 「24時間戦う事は美しい(バブル期)」→今となっては本当か? 利己的ではない「美」は近代によって生まれて来たのではないか? 「花を愛でる」は全世界的 言葉が通じなくても同じ物を「美しい」と近代人同士だから思い合える二人 アフリカの人は服に対して美的なセンスはすごい 北ヨーロッパ(プロテスタント系の国)は住居についてこだわりが強い 日本人は室内の調度品などにはこだわるが外側にはあまりこだわらない それぞれの国によってこだわる点が違う 日本人は家のデザインについてこだわれない(清潔さにはこだわるけど)、無頓着、ヘタ 桂離宮の日本文化は未だに存在できているか? 日本では土地が個人で買えるようになったのは戦後から 美的感覚(人間の生活とは関係のないもの)が鈍感になって来ている
● 現代日本社会/ジェンダー
人類全体と海洋高等知能動物(イルカなど)の近寄った時の反応をどう設定する[仲良くする/殺す]か、ということを日本のメディアは言わない 捕鯨をやめないのは、独立行政法人のどこかで「やめると困る団体」があるのではないか?きっと理由がある 日本「少子化」=全世界的には「エコ」なのに 「滅び」って「エコ」 エコ問題を科学的な技術で乗り越えていこうという発想はアメリカ的(日本も準じるが中途半端)—しかし科学的な考えを拒否していると滅んでしまう 西洋人には何世代もかけて膨大な全集を編纂するという発想があるが、その発想は日本人にはない 『女は「美しい」がわかる』という前提で書かれている(著者は美しいが分かるゲイなので) 橋本治著作/「エイティーズ」オタク理論の先駆け/「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ」少女マンガをアートとして紹介/ジェンダーに関する本をたくさん出している 言葉として同性愛とかゲイとかレズとかを絶対に使わない—使う事によって二次的に差別されることを考えて(明らかにそうなのに) セクシュアリティと美の問題にも食い込んでいる 『ジェンダー・トラブル』ジュディス・バトラー著作より→「女」という主体は立つ事でトラブルに巻き込まれる/「人」という主体は実は「MAN(男)」/まったく男女同権だと、女性は社会では不利に出来ている(体格・態度・声など) 20世紀の言語論的転回/「ものがあるから言葉がある」→言葉を追求→逆ではないか?「言葉でカテゴライズすることで存在がある」という逆転の発想→そうすると差別の問題などいろいろ浮き出してきた 生物学的な性別も文化の影響によって違うのでは 「男とは」「女とは」が難しくなってくる 「女」「女たち」という主体は成り立たなくなってきている
● 次回のテキスト探し
石原吉郎「望郷と海」 口語での文学は明治中頃以降 叙事詩/藤村・土井晩翠 日本の近代美学はシラーの影響が強い 叙情詩は近代以降 作曲家/東京芸大出てないとアカデミックとされない日本の文化的な事情(入れなかった人は売り線で行かないといけない/ハイアートとローアート) オペラ歌手マリア・カラス以上の人は出ない グローバリゼーションによって個人個人が牢屋の中に入って行く 宮沢賢治「春と修羅」
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# by study-kiho | 2010-07-26 16:50 | 前回メモ